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旅行記
4月30日   長光一寛作

ぼくは今、伊良部島と下地島の載った国土地理院の2万5千分の一地図を目の前に開いている。旅行から帰ってしばらくして買ったものだ。

なぜもう二度と行くこともなかろう所の地図を買ったのか、その理由はこうだ。 今回の旅行中に走った道で一番印象に残ったのはどれかと問われると、ぼくは迷わず4月30日に走った伊良部島と下地島を分ける細い水路に沿って延びる伊良部島側の道だと答える。

その水路の幅は小さな川のそれであるが、上流も下流も海に通じているから川ではない。そして川でないから両岸がすなおに平行するのではなく対岸とは無関係に複雑に凹凸しているのだ(http://www.ritou.com/miyako/irabu.shtml参照)。

その日、朝から降り出した雨が上がったのち昼食を済ませるとぼくらは乗瀬橋を渡って隣の下地島に入り、長い飛行場を有して巨大な空母のようなこの小島を一周した。乗瀬橋に戻ると、こんどは伊良部島側に戻り水路に沿って北上した。

左右に展開する趣のある小さな湖や入江を見ながら、こんな珍しい風景は見たことがない、ここは間違いなく国立公園の格調があるぞ、などと独りごちながら進んでいると、ずっと先に行っていた博士が自転車を止めて「おかしいな」と首を傾げてぼくらの来るのを待っていた。

そしてそこは見覚えのある「サシバの里」という施設の前だった。ぼくらはいつのまにかすでにその朝一周した下地島に再度渡ってしまっていたのである。

前述の水路はすんなりと延びるものでなくくねくねしていて、ぼくらの走った道路は両側に小さな入江や湖がいくつもあるという状態だから橋をいくつか通ることになり、そのうちに下地島に渡る橋をうっかり渡ってしまったらしかった。

ぼくらは狐につままれたような心持ちになり、この人だましの景色を怪しんだ。こうしてぼくはますますこの道が気に入り、このぼくらを迷わせた地形に興味を持った。

そしてこの地形がどのようにぼくらを迷わせたのかを解明するためにぼくはその地図を買ったのだ。

ところで「サシバの里」のサシバとはこの地に飛来する鷹の一種である。 さて読者諸氏はこの国土地理院の2万5千分の一地図を見るならすぐにぼくらのたどった道筋がお判りになるでしょう。

そしてさらに地図読解力に長けた方ならぼくらがその道をたどるにつれ左右に展開したたぐいまれな素晴らしい光景をある程度想起していただけることでしょう。

しかしどんなに地図読解力に恵まれた才能を有し且つ想像力に長けた方も、地図を見ながらぼくらと同じようにこの道すがらこの地形のラビリンスに惑わされ自分の現在位置をあらぬ所に錯覚し戸惑うことはよもやないでしょう。

しからばそれはこの地形の魅力の肝要なるものを逸したことになる。

ここは天然の迷路で、しかもたくさんやたらな方向に枝分かれして延びる幾多の別れ道を有す今はやりの人工的で狭苦しい迷路とはまったく違って、道は二度か三度分岐するだけで、ぼくらを惑わすのは周りに展開する精巧に仕組まれた魅惑的風景だけなのだ。

ぼくらを迷わせるのは多くの選択肢ではなく、海を川に見せたり池に思わせたりする擬態なのだ。

迷路ファンならずとも一度はチャレンジしてみる価値のある名路だ。日本には日本百名山とか、名水百選とかいうのがあるが、日本百名路というのが提案されるなら、ぼくは真先にこの伊良部島の道を推薦したい。

さて、ぼくらはすでに下地島を一周していたから一度訪れていたサシバの里で錯覚に気づいたが、もし下地島を先に訪れていなかったらどうだろう。

もしかしたらぼくらはいつまでも伊良部島側にいるものと思い込み、その錯覚が連鎖的に新たな錯覚を呼びみるみるこの美しき迷路に深く吸い込まれてゆき(そういう時は、正確な地図はかえって錯覚を手助けするものだ)、ついにぼくらはツアーサイクリストにとっての夢また夢のゴールである桃花源郷にさまよい入ることを果たせたかも知れない。

生きている間に桃花源郷を知ることを許される者は幸いかな。およそ人が迷路にひかれるのは、その彼方にあり幸い住むと人の言うこの未知の里ユートピアに無意識のうちに心をそそられているからである。

サシバの里はその迷路の迷惑な出口であった。覚めて絶望と苦渋の旅を続けるより、いっそ迷路の終身刑の虜となり、いつかエデンの楽園にたどり着けるという甘い思いに浸りながらその中で果てるほうが幸せである。迷路、あるいはそれはユートピアの同義語ではなかろうか。

かの人に愛されているとひたすら迷信する恋する者の甘い恍惚はオリンポスの神々の至高の法悦に少しでも劣るものであろうか。

さて、話を朝に戻そう。その朝も博士が一番に起きて木炭を起こして紅茶をいれる。そして助手の石塚君が起きだしてきて夜通し干していた物が乾いたかを確かめる。

たいてい夜露と朝露で湿ったままだ。そしていつまでもまとわりつこうとする朝夢の愛撫をついに振りほどいてぼくがテントから顔を出す。

質素な朝食が作られ公平に分けられる。各人一つのティーバッグで食前と食後の二回分の紅茶を作る。波の音が今朝も荒々しい。

しかし食後いつものようにぼくは泳いでみることにした。渡口の浜はあいかわらず波が高く水が濁っていた。見ると標識があり、それによるとここは遊泳禁止場所だった。やはりほとんどいつもここは波が荒いのであろう。

そんな所にシャワー施設があるのもおかしい。防波堤の上で仰向けになって寝ている人がいた。その幅はやっと一人が長さ方向に沿って横になれる位のものだった。ぼくは入江に浮かぶ小さな島に泳いで渡ってみることにした。

泳ぎつくと、島の岸辺は岩肌の多い所で、サンダルを渡口の浜においてきたので歩くと足の裏が痛い。もっと先まで行ってみたかったが足が痛くて億劫になり引き返した。

何のみやげ話もなくぼくは浜に戻りシャワーを浴びに展望台に行った。

すると先ほど防波堤の上で寝ていた人がすでにシャワーを浴びて出てくるところだった。二日酔いで昨夜からあそこで寝ていたそうだ。

よくあの細い堤から落ちなかったものだと感心した。 ところで彼の話だとかつては宮古島にも銭湯があったが10年くらい前に休業して以来この辺りには風呂屋はなくなったとのことだった。

この地では暑さが酷しいのでわざわざ金を出してまで熱い風呂に入るより冷たいシャワーで十分なのだろう。

やがて、博士と助手が食器を持ってきて洗い場で洗い始めたので、ぼくもそれに加わった。すでにゴミはかたずけられていた。

そうこうしているうちに雨が降りだしたのでぼくらは各々テントの中に避難しそれぞれの孤独な時間を昼頃まで過ごした。

博士と助手は低くなった所にテントを張っていたので、底から水が浸入してきたそうでかなり居心地の悪い時間を過ごしたようだった。一方ぼくは少し盛り上がった所を選んでいたので安泰で、フライシートも功を奏し快適な時間を過ごすことができた。

ぼくは雨が降ってもテントの中で豪華ホテルの高価な一室にいるよりもリッチな時間を過ごすことができる。それはひとえに自然という最高級ホテルのおかげである。

自然ホテルにいればじかに接することのできる環境の特殊性でいつもその地方にいることをさまざまに自覚させてくれるが、一般ホテルはそこが例えば北海道であっても入口を入った途端に東京、名古屋、福岡、あるいは他のどの町にあるホテルとも同じ画一化されたスタンダードの空間が広がる。

せっかく北海道にいても北海道から隔離された空間にいるのだ。これではとても旅の宿とは言えない。ビジネスの宿である。

一般ホテルのナイトライフは部屋の電気を消して窓から街の夜景を眺めながらちびちび酒を飲む楽しみがある。

しかし、ツーリングサイクリストの夜景は真上にある。我ら自然ホテル愛好家の楽しみ、夜の醍醐味は何といっても地球をすっぽり包む巨大プラネタリウムである。

いつまで見ていても星座はぼくらを飽きさせない。

さらに自然ホテルの空調設備はすべて季節に合わせて調整されているので四季の気候をそのまま楽しませてくれる。

春は春眠暁を覚えずのとおり温かい午後のそよ風が甘い眠りに誘い、夏は蒸し暑くてせせらぎで冷やしたビールがよけいおいしくなり、裸になると皮膚が強まり冷房病などは一切知らず、秋は天高く馬肥ゆるのとおりひんやりし始めた空気が食欲を増進する。

テントの外には紅と黄の落葉の絨毯が広がり、あちこちに木の実がなり、いよいよ自然ホテルが冬眠する宿泊客たちのために慌ただしく部屋と食糧を準備しはじめた様子を見ることができる。冬の到来とともに自然ホテルの支配人はすべての宿泊希望者に余すところなく部屋を提供し、宿泊客たちを寒さから守る。

冬にこのホテルに泊まったことのあるものなら、寒さの中で初めて身体の奥に灯る小さな炎のあのほのかな暖かさの幸せを忘れえぬであろう。

さてぼくは、この雨の一時、仕事をする気分にならなかったので読書をすることにした。

大抵はポケットサイズの英訳新約聖書を持参するのであるが、今回持参したのは古典中の古典、ホメロスの「オデュッセイ」だ。それは、ギリシャの英雄オデュッセウスのトロイ戦争からの帰国談で、島々を巡りながら奇想天外な冒険を経てようやく故郷イタカの島に帰り、さらに自分の妻に群がる不埒な求婚者たちを討ち滅ぼすというもので、島々を巡る今回の旅の友としてはぴったりしたものだった。

否、ホメロスのもう一つの傑作「イリアス」とともにこれはぼくの人生の旅の大切な伴侶である。ぼくは一度読み終えた英訳版を最初の三十数葉ほど切り取り持参し、読み終えた紙から一枚一枚炭を起こすための燃料として再利用した。

しかり、オデュッセイは、ぼくのひるみがちな心に冒険と不屈の精神を注入し続けただけでなく、その一葉一葉は燃え上がりながら炭を着火しその火勢を強め、もってぼくらの冷えがちな胃に温かみを与え続けた。

ぼく自身島々を訪ねながら、自らがオデュッセウスとなったつもりで今エーゲ海の孤島にたどり着いたのだという振りをして波打ち際を歩いたりした。 雨が止むと、ぼくは近くのスーパーマーケットに行き三人分の昼食のための食糧を買ってきた。

「飲むためのお米」という珍しい缶入りの飲み物も三個買った。飲むとおもゆを甘くしたようなものでなかなか旨かった。

それでその後もぼくは水分とエネルギー源として何本か自動販売機で買って飲んだ。自動販売機で思い出したが、本土ではとうに当たり前のこととして受け入れられている消費税がこの島ではまだ一般に受け入れられていないのだ。

自動販売機の缶入りソフトドリンクもまだ100円のままだった。おそらく宮古の人たちは悪税に苦しんだ歴史を持っているせいで、いかなる名によるものであっても新しい税の導入に対し強いアレルギー反応を起こすようになっており、消費税も断固受け付けようとしなかったのだろう。

さて、前述したように昼食後ぼくらは隣の下地島に渡り、サシバの里を経て下地空港に着いた。

ジャンボ機も離着陸できる立派な滑走路を有しているが、ここの便は那覇へ一日一往復があるのみだ。実はこの空港の主な目的はパイロットの訓練にある。

したがってパイロットの卵たちはここで雛になり、飛ぶ練習を繰り返し、ついに巣立ち、世界の空に飛び立ってゆく。

まさしくサシバの里なのである。 ぼくらは、小さな空港ビルに入ると搭乗カウンターの女子従業員ふたりを相手にひとしきり会話を楽しんだ。

今は連休のせいですべて満席状態ということだった。博士は那覇に行きたそうだった。

やがて、エンジンの音が聞こえてきたので、那覇行きの始発便かつ最終便であるジェット機の離陸を見とどけた。空港ビルから出ると、島のお巡りさんがいて、この島では交通量が少ないせいで十字路をスピードを緩めないで通りすぎる車が多いから気をつけるようにとのアドバイスをもらった。

さらに、今夜のキャンプサイトとして適当な所も教えてもらった。 下地島の北の海岸は伊良部島の北部とともに湾を形成しており、この浅い湾にはたくさんの巨岩が散らばっていて、初めて見る者には異様な光景である。

なんだか地の果てに来たかのような気さえしてくる。ここは今でも、伝統漁の「仕掛け魚垣(ながき)」が行われており、滑走路に沿って水際を走っていると浅瀬にそのための石垣が見られる。滑走路の突端をなぞって走っているときにぼくのマウンテンバイクはまたパンクしてしまった。

博士のアドバイスで、ぼくはヘルメットの頂部の穴をガムテープで閉じ、これに水を満たし、パンクの穴を探した。博士はヘルメットを動かないよう両手で支えくれ、ぼくはふくらませたチューブを水の中でしごく。

そして石塚君はぼくらのこの模様を横から写真に収めた。パンクは容易に直せたが、バルブの部分が老朽化しており空気がまともに入ってゆかない。

幸い博士が虫ゴムなどの補修材を持っていたのでぼくは窮地を免れることができた。

この博士は他にはブレーキ・シュー、スペアタイヤ、すでに述べたガムテープ、紅茶バッグ一箱、火傷薬、国土地理院の地図、調味料一式等、きめ細かい装備を得意としており、とても今回がキャンピング・ツアー二度目とは思えない用意周到なサイクリストだ。

さて、下地島を一周して、乗瀬橋にもどり最初に述べたような華麗なる迷路を経て北上し伊良部島の佐和田の浜の近くにあるマリーン・センターという総合スポーツ施設に着いた。

先ほどのお巡りさんに勧められた所で、彼によるとここには湯の出るシャワー設備があるはずだ。

こんな離島にもあったのかというような立派な観客スタンド付きの野球場や、体育館等のあるこの運動公園の一隅に自転車を止めた。

6・7人の白い半袖の夏制服を着た女生徒たちがブランコや滑り台で遊んでいた。(博士の観察によると、たばこを吸っていた者がいたらしく、不良少女だということだ。しかしたばこなら博士もよく吸う。)

風が強いので、野球場の中にテントを張ろうということになった。博士の提案でダッグアウトの中が選ばれた。

地面よりも低くなっているから雨が降ったら水浸しになるのではないかというぼくの危惧は、中に排水ガターが整備されていたので無用の心配とわかった。

さらに水道設備もあることがわかり、ぼくらはさっそくテント設営にかかった。もちろんぼくらは慣習に従って、ビジター側のダッグアウトに幕を構えた。

ぼくは後ろのタイヤがまた平たくなってきていたので、公園でタイヤを外し空気を抜きヘルメットに水を満たしてチューブのパンク箇所の点検をした。

どこからも空気は漏れていなかった。しかしポンプで空気を入れると抜けるのだ。

博士と助手は近くのストアに買い出しに行った。ひとりになったぼくはなおもパンクの穴を探していた。すると白い運動靴が目の前に近づいてきて「おじさん、パンク?」と聞いた。

「そう」と言って、その運動靴から延びるひょろ長い脚、紺のプリーツスカート、白いブラウス、と見上げてゆくと風にそよぐ髪の毛で顔を半分覆われているが気品のある顔だちの女生徒が立っている。

かわいい前歯が自然に下唇を軽く噛んでおり, 薄く開けた目でぼくを見おろしている。すぐにあと3人ばかりが集まってきてぼくのまわりにすわると口々に自転車やぼくのことを聞き始めた。

やがてぼくが中学生かと聞くと、みな笑って高校2年生だと言った。ひとりは大柄で胸元のボタンをひとつふたつよけいに外していて胸の膨らみをかなり露出させて挑発的である。

一見番長タイプだ。ひときわ小柄で髪を短く切ってボーイッシュに可愛い「おちびさん」(あとで博士が命名)もいたが、その子の言葉づかいは他の三人に少しもひけをとらずこれも気骨のある少女だった。

4人目はこの地方特有の南国的エキゾチックな美しさ持つ背の高い少女だ。しかし4人のなかで最も印象的なのはやはり最初に声を掛けてきた気品のある少女だ。内に大きな自信を秘めているような落ち着きがうかがえる。

オディッセウスは異国に泳ぎ着いて身も心も疲労困憊していたとき、川口に洗濯に来てボール遊びをする少女たちの一群を見つけ、身を投げ出して助けを求めるが、その時他の少女たちは怖がって蜘蛛の子を散らすように逃げたのにナウシカだけは堂々とオディッセウスに直面し、話を聞く。髭をのばし、妙ないでたちをし、パンクの修理で汗だくになっていたぼくの前にやってきて話しかけたこの気高い島の美少女をナウシカと呼ぶことにした。

「きょう下地島を走っていたでしょう」「私たちは車に乗っていて見たよ」「手を振ってあげたよ」「気がつかなかった?」彼女らは口々に言った。ぼくはパンクの穴を探す操作をまだ続けてはいたが、これだけの少女に囲まれて気もそぞろになってしまっていて、穴の位置を示す泡が見えてもそれに気づけなかったろう。

「そういえばそんなこともあった。君らが乗っていたのか。

だれが運転していたの?」ぼく。 「先輩が宮古島から車で来たんで、乗せてもらってたんよ」おちびさん。 「このへんにシャワー浴びられるところある?」ぼく。 「あるよ、あの体育館の中に温水シャワーがあるから行ってくれば」番長。

「でも、きょうは閉まっていて入れないよ」エキゾチックさん。

「いつもだったらあいてるのにねえ」番長 「きょうはどこに泊まるの?」おちびさん。 「ここでテントを張って寝るよ。夕食もここで自炊するよ」ぼく。

「わー、夜になったらまた来てみようか」口々。 「でもここは夜はこわいよ、出るよ」番長。 「出る?そういえば、宮古島のインギャーという所でこわいことがあったよ。夜テントで寝ていると急にオギャー、オギャーという叫び声を聞いたよ」ぼく。

「ああ、あそこはずっと前に赤ちゃんが捨てられたことがあるから、きっとそれだよ、ね」おちびさん。 「でも、大人の男性の物凄い声だったよ」ぼく。

「それは、赤ちゃんが育ったんだ」番長。 「ハハハッハ」みんな。 「おじさん、どこから来たの?」ナウシカ。 「東京から。直行便で宮古空港に飛行機で・・・」ぼく。 「わー、すごい」口々。 「東京一度行ってみたい」エキゾチックさん。

「でも、東京で暮らしたいとは思わないよね。おじさん、東京で何してるの?」番長。 「サラリーマンだよ」ぼく。 「私はお姉さんが名古屋にいるから、就職は名古屋でする」おちびさん。 「私は大阪で看護婦になるよ」ナウシカ。

「看護婦は大変な仕事だけど、君のようなしっかりした子なら大丈夫だ。ぜひ、看護婦になって欲しいね」ぼく。「(傍白)もし、ぼくが病気でもして入院するなら君のような看護婦さんにめぐり合いたいものだ。」

このようなことを話しているとタクシーが来た。おちびさんが「こっち!」と言って手を振った。彼女は家が島の反対側で、ここから丘を越えて歩いて帰っていると日が暮れるので電話でタクシーを呼んでいたのだった。

「早く来たね」と言って立ち上がると、「でもどうしよう、私お金持ってないよ」と心配そうに言った。ぼくは黙っていた。

「(傍白)おちびさん、このおじさんはその手にひっかかるような甘ちゃんじゃないよ。」彼女は「じゃあまたね、バイバーイ」と言って、はずむようにかけて行った。しばらくするとまたタクシーがやって来て公園のそばに止まり、警笛を鳴らした。実はこれがおちびさんが呼んだ車だった。

「遅いからもう行ったよ!」番長たちは同級生の男子にでも言ってるようにぶっきらぼうに言った。タクシーは来た道を引き返して行った。 やがて博士と助手が買い物から帰って来た。日が暮れかけている。

パンクの修理の見込みがたたないぼくは彼女らに、近くに自転車屋はないかと聞くと、あるよと言ってナウシカが自転車で案内してくれることになった。

そこでぼくは博士の自転車を借り、片手でハンドルを握り、片手でパンクしたタイヤを持って行くことにした。ホメロスのナウシカは、悪い噂の流れることを嫌ってオディッセウスに自分よりずっとあとからついてくるように指示したが、ぼくのナウシカはそのようなことを気にしないでぼくと並んで走った。

民家には明かりが灯り始めていた。ぼくはナウシカと他愛のないことを話しながら5・6分のサイクリングを楽しんだ。

自転車屋に着くとナウシカはそこの女将さんと話を交わす。「どこの家の娘さん?・・・ああ、あそこの子・・・きれいやは・・・」そのような話し声を聞きながら、ぼくはエア・コンプレッサーでタイヤに空気を入れてみた。

やはり空気が抜けるので修理を頼むことにした。翌朝取りにくると言ってタイヤを預けると、再びナウシカと公園の方に引き返した。複雑な道筋でひとりで戻るのは難しかったからだ。

途中でエキゾチックさんが歩いて帰宅しているのにすれちがった。うつむきかげんで歩いていたがぼくらが来るのを見つけるとぱっと明るい顔になって手を振った。

公園に着くと番長ももう帰ったあとだった。ぼくはナウシカに感謝し、気をつけて帰るよう言って、来た道を帰らせた。

たそがれの中を自転車のペダルをこいで去ってゆく彼女の後ろ姿をいつまでも見ていると、沈みゆく夕陽を後ろから浴びてオレンジ色に輝くナウシカの両足が映画のラストシーンの「終」の字のような印象で浮かび上がってきた。

「完」