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在番   ざいばん
王府から宮古・八重山および久米島、沖縄本島地域の諸浦に派遣された役人。先島は、在番一人とその補佐役である筆者が二人、久米島は具志川・仲里両間切に各一人。諸浦在番は、本島中北部の間切に7人、離島に6人いた。
祥雲寺   しょううんじ
宮古にある臨済宗の寺。山号は龍峰山。1611年の開山で、最初の住持は、山月和尚。その後王府から三年交代で住持が派遣された公寺であった。廃藩置県後も公寺として民費で運営されたが、明治44年(1911)私寺になった
地割制  じわりせい
近世琉球にあった村内の耕地割替制度で、明治36年(1903)年まで存在した。その起源は、古琉球からあったとする説と近世に始まったとする説があり、決着していない。近世琉球には、百姓地・地頭地・オエカ地・ノロクモイ地・仕明地などの耕地区分があったが、割替えは、基本的には百姓地・地頭地・オエカ地で行われた。割替基準は村によって違い、人頭割・貧富割・貧富および耕耘力割・貧富および耕耘力割・貧富および勲功割があった。
杣山   そまやま
王府の山奉行が監督し、間切・村(島)が管理する山。間切・村(島)は、総山当・山当の役人を置き、必要な林産物を無償で取ることができた。王府が材木を必要とするときは、間切・村(島)に代価をはらった。
周煌
中国四川省の人で、1756年、尚穆王の冊封副使として正使全魁とともに来琉し、冊封使録『琉球国志略』を著した。来琉時には、船が久米島真謝泊沖で座礁したが、全員無事であったので、天妃(航海の神)に感謝し、正使とともに久米島に天后宮を造営した
徐葆光
中国長州の人で、尚敬王の冊封副使として正使海宝とともに来琉し、冊封使録『中山伝信録』を著した。『中山伝信録』は、琉球だけでなく江戸や京都でも板行で出版された。書にも優れ、瑞泉に題した「中山第一」の書は名高い。