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人頭税    にんとうぜい
貧富によらず、人(頭)を単位として賦課・徴集される税制をいい、世界各地に存在した。前近代琉球においては古琉球から琉球一円存在したともいわれるが、近世先島の租税制度を人頭税と呼ぶことが多い。1903年まで存在した。
長田大主
16世紀初頭の八重山の頭。オヤケ・アカハチの乱では王府側につき、古見首里大屋子となり、後に改称され石垣頭職となった。波照間島の生まれで8才の時石垣島に渡る。仲宗根豊見親の後胤ともいわれるが、年代的に疑問。
仲尾次政隆
宇姓の5世。1853年(44歳)、御物城役の候補になったとき、禁制の一向宗を信仰し布教していることを密告され翌年八重山に流刑となる。八重山では宮良橋の架橋に尽力し、1865年赦免された。配流中の日記が残っている。
仲宗根豊見親玄雅
宮古の忠導氏の一世で、名乗りを玄雅という。アカハチの乱(1500年)に際して、王府軍の先導役として従軍し宮古の頭となる。蔵元を創建し下地橋道を建造した。また、宝剣治金丸、宝珠(夜光の玉)を尚真王に献上した。