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友利のあま井  宮古島市城辺字砂川1137

 友利部落の東側に友利遺跡、南側に友利元島遺跡があり、その西側に友利あま川(降り井)はある。友利あま川は2回の地殻変動で
形成されたと推測されている。深さが約20メートルほどもあり、石段が施され、奥にはいつでも清らかな水をたたえている自然の洞窟である。

1667年、96年と宮古に大地震が起り、洞泉が現れれたり、蔵元や祥雲寺、在番仮屋等の石垣が崩れたりしている。
18世紀になると飲料水源確保のため各地で洞泉が掘られたり、整備されたりしている。『雍正旧記』(1727年)には「あま川、ただし洞川。
掘った年は不明である」と記されている。友利、砂川、新里元鳥の人々はこのあま井を水源に利用したと考えられる。

近年にいたってもあま井の水源は飲料水として付近の部落の人々に利用されている。部落の女子は水を運ぶのが日課であり、1日の半分を水汲み仕事に費やしている。1955(昭和30)年にあま井を水源とする友利、砂川簡易水道が開設され、あま井を往復する仕事から解放される。

因みに、1954年に保良簡易水道、56年に吉野簡易水道、59年に福里簡易水道も開設されている。管理は各部落水道組合にまかされる。その後、1964年(昭和39年)の全面水道の普及にともない、簡易水道も姿を消し、今日にいたる。           

1981年3月30日
沖縄県指定有形民俗文化財


photo matusutani.h