盛加井(ムイカガー) 宮古島市平良字東仲宗根222(東川根)
1882(明治15)年8月、宮古島を巡回視察した第2代沖縄県令上杉茂憲は、ここ盛加井の景観に驚き、「その絶景風雅拙筆のよく尽くすべき処にあらず」と日誌にとどめている。 盛加井は、平良の各所に散在する「うりが−」(同穴泉)のなかではもっとも規模が大きく、うりが−の特徴が一目でよく分かる代表的な 存在である。直経約24メートルの地表の開口部から曲折した103段の石段を降りた洞穴の奥深いところに湧泉口があるが、地表からそこまでは、石灰岩層におおわれていて、清水はこの石灰岩層の下部につづく不透水性の泥岩層の上にある。水汲口には外光がわずかに差しこみ、数百年にわたって上下した人の踏み足で、なめらかになった石段が目につく。 このうりが−は、上水道が普及するまで人々に利用された。 はじめここの湧泉を利用したのはどんな人たちで、それはいつごろのことか、はるか昔のことはよく分からないが、宮古の古代の集落の多くが、このような洞穴泉の近くに発生したことは確かである。一説によると、14世紀後半に勢力をふるった与那覇原一党の本拠地もこの近くにあったといわれている。 しかし、異説もあって、さだかではない。 地上から石段を少し降りたところの崖の下あたりには、小規模ながら貝塚層もあり、周辺一帯からは多くの青磁片、土器片等が表面採集でき、大きな集落があったことを物語っている。なお盛加が−に近接して「盛加御嶽」がある。 1975(昭和50)年12月11日平良市指定史跡。 |
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