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宮国のアナ井とアマ井     宮古島市上野字宮国
アナ井は宮国公民館の四辻をドイツ文化村へ向かう旧道の右側に位置する、今は新しくできた2本の道路と旧道に挟まれて三角地となった一角に残されている。アナ井の手前左側には好善ミガガマ御嶽が立地している。

アナ井は自然に落ちこんだ堅穴状の洞穴泉に手を加えたもので、地上入口から清水口までの高低差は12〜3メートル前後となっている。地上部周辺はガジュマル、アコウ、ドウンタ木などが覆い被さっている。入口から底部の湧水口まではかなりの急勾配で落ち込んでおり、歩幅の狭い階段が小刻みに続いている。

 雍正旧記(1727年)に「東川、但し洞川、掘った年は不明」とあるのがこのアナ井とされている。史跡説明板に「宮国村の番所跡の東に位置しているので当時の役人たちによって「東井」と呼ばれていたらしい。
水道が普及するまでは、宮国住民の生活を支える負重な水滴であった。夜も、畳も、ひっきりなしに人が集まり、水くみ、せんたく、水浴などでにぎわっていた。」と記されている。

湧水口のある洞穴基底部は畳4枚半ほどの広さで、湧水をためる池が湧水壁面を利用する形での字形のコンクリートで造られおり、中には澄んだ水が湛えられている。
このアナ井は、大正15年にかなり大がかりな改修工事が行われたようで、大正15年9月8日の日付と寄付者芳名を刻んだコンクリート製の「改鑿記念碑」が入り口付近に建っている。

このときの改修で、自然の洞穴井に近い状態から上り降りする階段や璧面の石積み、清水池なども大きく整備されたものであろう。
 アマ井は、このアナ井から南西方向に約500メートルほど離れた原野の中にあり、形態はアナ井とほぼ同様となっている。
アマ井は1956〜62年頃までは、ポンプを設置し水を汲み上げる簡易水道の水源として利用され、宮国部落の婦女子をはじめて水沈みの苦労からときはなす大きな役割を果たした井戸でもある。水道落成記念碑(1957年4月26日竣工)が入口に建っている。

1979(昭和54)年3月9日
上野村指定史跡。