四島の主(ゆすまぬしゅ)の墓
墓の正面。
墓の構造は、ツガ墓に似ており、周囲には石積みの外郭が二重にめぐらされ、南南西に向いて一枚岩を乗せたアーチ門が築かれている。
また墓室は一室で、墓口が二ヶ所に設けられている。墓は近年まで四島の主の子孫により代々、使用されてきたと伝えられている。
墓の構造は、ツガ墓に似ており、周囲には石積みの外郭が二重にめぐらされ、南南西に向いて一枚岩を乗せたアーチ門が築かれている。
また墓室は一室で、墓口が二ヶ所に設けられている。墓は近年まで四島の主の子孫により代々、使用されてきたと伝えられている。
県道沿いにある四島の主の目印↑
←ちょっと急勾配となっている上り坂
昭和53年に当時の平良市の史跡指定を受けた
案内板によると「四島の主とは、狩俣、島尻、大神、池間四邑(むら)の支配者の俗称で、雍正旧記には、昔狩又四島の親童名百佐盛と申す人は、狩俣、島尻、大神、池間合わせて四ヶ村壱人にてかけ候に付き、四島の親と為申由候と記されている。」
案内板によると「四島の主とは、狩俣、島尻、大神、池間四邑(むら)の支配者の俗称で、雍正旧記には、昔狩又四島の親童名百佐盛と申す人は、狩俣、島尻、大神、池間合わせて四ヶ村壱人にてかけ候に付き、四島の親と為申由候と記されている。」
所在地 | 宮古島市平良字狩俣 |
交通 | 宮古空港から車で25分くらい |
施設 | 見学は自由 |
駐車場 | 無し |
問い合わせ | 宮古島市役所商工観光課0980-76-3184 |