旧西中共同製糖場煙突
平成24年12月14日に城辺字西里添に所在する「旧西中共同製糖場煙突」が国の文化財に登録された。
煙突は、1942(昭和17年)に設立されたもので、煉瓦造りの古煙突である。煙突建設にあ
たっては、当時の西中部落、西西部落の農家百数名で組合を結成。工場の建築資材など組合員
が平良の漲水港から運び込んだ。
施設は2~3回の操業後、太平洋戦争による旧日本軍の強制接収にあって 日本兵が駐屯したため操業中止に追い込まれ、戦後は使用されることはなかった。
煉瓦造りの煙突は当初、高低2本あった。20m近くあったといわれている高いほう には、「マル西、西中共同製糖場」の文字があった。台風で壊れたり、米軍機のロケット砲で 上部が崩れた。
1960年頃、地域生活環境の安全確保の観点から、弾痕による損傷の激しい古煙突撤去の動きがあったが、工場設立に苦心した中村清一郎(昭和3~5年まで城辺村長)の業績の記念のひとつとして末永く保存しようととのことで、現在にいたっています。
同煙突は島における製糖業とその変遷を知ることができる建造物である。
沖縄県の登録有形文化財としては76件目、宮古島市においては平成19年3月の「大野越排水溝」続き2件目となった。