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遅かりし1時間・・・久松五勇士
日露戦争でバルチック艦隊の出現に備え、連合艦隊では猛訓練に励み、待ち受けることになったが、敵艦隊が何処に現れるかが大きな問題となった。日本沿岸にくまなく監視所を置き、哨戒艦を配置していたが、情報は得られない状態が続いていた。
  明治38年5月25日宮古島東方を北上している敵艦隊を発見したという情報が宮古島司(地方行政官)に入り、大本営と連合艦隊に報告することとなった。電信局は石垣島にしかないので、その報告書をそこに届けるよう依頼された宮古島松原、久貝の漁師5人が、石垣島まで約100Kmの荒波の中をくり舟(サバニ)で命がけの航漕15時間、陸上を5時間かけて石垣島電信局に至り電報を発信した。
しかし、電報は中継が多く連合艦隊に達したのは信濃丸の「敵艦見ゆ」の報告とは1時間遅れであり、あまり評価されることもなかった。
昭和の初期に至り、この事実が発掘され、中等国文教科書に「遅かりし一時間」と題する見出しで始めて世に紹介され、五勇士は沖縄県知事等から顕彰され、時の人となった。

久松五勇士名
垣花 善 (明治9年11月10日生まれ)
垣花 清 (明治16年9月8日)
與那覇 蒲(明治17年6月8日)
與那覇 松(明治15年3月20日)
 戦艦三笠でも紹介
東平安名崎 宮古島市総合博物館 多良間フクギ並木
うえのドイツ文化村 仲宗根豊見親の墓 八重干瀬
通り池 久松五勇士 下地島空港
池間大橋 人頭税石 宮古島市熱帯植物園
西平安名崎 来間大橋
 
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